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もうすぐ引退Vol.4

今日は、FEST-HIROSHIMAに所属する中で感じた国際協力の難しさや、楽しさについてお話します。

国際協力や支援活動のようなものに難しさはつきものだとは思いますが、今日のお話は私がFEST-HIROSHIMAに所属する中で感じた国際協力の難しさです。

私たちが普段支援しているような地域はスラムで小さな家が密集しています。その小さな家の中に何人もの家族が住んでいます。水が止まることもあったり、立ち退き(デモリッションとよばれるもの)が起きるかもしれなかったりする地域もあります。私たち日本人と比較すると貧しい生活を送っているかもしれないけど、そこに住んでいる人たちは私たち以上に笑顔で幸せそうに毎日暮らしているように私の目にはうつりました。本当にこの人達は支援を必要としているのでしょうか?

また、私たちが活動しているセブの市内には多くのホームレスやストリートチルドレンがいます。物乞いをされたこともあります。スラムは家が密集していて、火災が起きると被害が大きくなりやすいという特徴があるため、火災のあったスラム(私たちの支援地ではない地域)に訪れることがあったときに助けてほしいとお願いされたこともありました。目の前に本当に困っていそうな人たちがいるのに、資金や活動できる期間の短さ(年に夏休みと春休みの3週間程度)や知識のなさなど、力不足で支援できない現実を突きつけられることもありました。

私たちは常にこの疑問にさらされます。理想としては本当に困っている人を助けたいと思っていても、それをできるだけの時間や知識、資金などが不足していて今の私たちにはできないという現実にいつも難しさや憤り、モヤモヤした気持ちを感じます。だからといって、今支援している人たちが困っていないというわけではないので、その人たちへの支援をほっぽりだしてまで本当に困っている人たちを助けるべきだという話にはなりません。

支援が必要とされているのかという疑問を問いかけることの難しさを改めて感じることができました。誰がこれを決めることができるのだろうかという疑問にも出会えました。

この疑問や難しさにすごく悩んだ時期もありました。これを乗り越えられたのは、国際協力の楽しさに気づけたからです。

それは、支援した人が笑顔になってくれる、感謝してくれるということです。誰かに感謝されれば嬉しいし、誰かが笑顔になってくれれば嬉しい、そんな活動ができていれば楽しいです。そんな当たり前のように思えることが、支援が本当に必要かどうかという疑問を少し払拭してくれました。

私たちの活動はこの人たちの笑顔や幸せのためにあるのだと思うことで、ときに困難な壁にぶつかろうとも活動を楽しく乗り越えてこれました。この考えはこれからのFESTでも大切にしてほしいし、私は将来国際協力に携わりたいと考えているので、そのときにも絶対に大切にしたいと思います。

こんな当たり前かもしれないけど、大切な考えに気づかせてくれた支援先の住民の方々やFESTという団体に感謝したいです。本当にありがとう!


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